身銭を切れ ナシーム・ニコラス・タレブ
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思想は間接的に身銭を切っているし、その思想を抱く人々も同じく身銭を切っている。 注解
倫理:Taleb and Sandis(2013)、Sandis and Taleb(2015)を見よ。また、Nagel(1970)、Ross(1939)も参照。行動の哲学については、Sandis(2010、2012)を参照。政治倫理については、Thompson(1983)を参照。不確実性と倫理については、Altham(1984)、Williams(1993)、Zimmerman(2008)を参照。全般的には、Blackburn(2001)、Broad(1930)を参照。同じ山を別々の方面から登るという表現については、Parfit(2011)を参照。倫理と知識については、Prichard(2002)、Rescher(2009)を参照。私は徳倫理学、徳のための徳、実存的な理由による徳に傾倒しているが、共著者のコンスタンティン・サンディスと私は、誰もが同じ山を別々の方面から登っていると考えるデレク・パーフィットの著書「重要な物事について(On What Matters)」(Parfit(2011))のおかげで、身銭を切るという概念がカントの定言命法、帰結主義、古典的な徳という3つの主要な倫理体系の交点に位置することを発見した。